2008年「タバコ:あの人にもっと生きてほしかった」コンテストのページにもどる


入賞作品

2位 荒井 美子 様 約束


「ねえ、たばこの一本一本に番号ふるの」
「それでどうするの?」
「一日何本って決めて、それ以上は我慢するの」
「なんか無理そう」
 仕事仲間の智(とも)子と私は、かなりのヘビースモーカーだ。一日最低でも一箱は固い。帰りに飲みに行ったら、そこで又、一箱は吸う。
 私の吸い方は、5、6回吸ったらすぐ半分位で消してしまう。だから、5分もたつと又吸いたくなる。智子は、根元の部分まで大事に吸うが、2本目との間隔はかなりある。
 二人で禁煙の話は何回も出るが、どちらも止める気はない。一箱千円でも吸ってやる!と息巻いている。それでも体に悪い事は十分に分ってるので、そんな話が時々出るのだ。
 結局、智子の案は二日で崩れた。
「だって、自分の分は先に吸っちゃって、16番と17番貸して!なんてずるい!」と智子が怒る。「だから明日返すよって言ってるでしょ!」
 智子との付き合いは、私が職場を離れ結婚し、引越しをした後も続いた。一緒に旅行したり、飲みに行ったり、私のうちに泊まりに来たりしていた。
 ある日、智子のメールに禁煙25日目です。とあった。えっ!えー!と思わず叫んだ。実は智子に内緒で、私も禁煙し始めていたのだ。そんな話はちっともしてなかったので、なんと偶然!とびっくりした。私の中で、自分だけ禁煙なんてと、言う思いと、どうせ続く訳がない、という気持で智子には言わなかったのだ。智子の禁煙方法は、なんかパイプで吸って本数を減らしていくやり方で、最後の一本を吸ってからもう、25日がたつらしい。私の場合は、夢を見たのだ。当時義理の父が亡くなる前に、病院へ通った事があった。夢はその病室に私自身が寝ているのだ。とても息苦しく呼吸がスムーズにいかないのだ。このまま死ぬのだろうか、とても不安で怖い夢だった。目が覚めても、動悸が激しく胸が苦しかった。その日から訳もなく咳が一ヶ月以上続いた。熱もなく、小さなコン、という咳以外は何もなかった。医者に行ったが、異常はなくそのうち咳も出なくなった。気が付くと一ヶ月以上、タバコを吸っていなかった。
 それから智子も時々挫折しそうになり、今日、5本吸っちゃったの。と、メールがあり、私の方も、飲みに行くと、もらいタバコで2、3本は吸っていたが、2人の努力は続いていた。それから何ヶ月後、智子から衝撃の電話があった。
「あのね、昨日入院しちゃったの」
「え?どしたの?」
「腰が痛くてずっと接骨院に通ってたでしょ?全然、治らなくてあまりに痛くて外科に行って検査したら肺ガンだったの」
「え!腰は?外科?肺ガン?」
「あのね、腰の骨に転移してたらしいの」
 智子は天然だ。いわゆるボケのタイプで、いつもみんなを和まして、癒してくれる。魅力的な、おっとりした性格で、気の強い私とは正反対の優しい女性だ。
「先生は何て言ってるの?」
「肺ガンは6センチ、腰の放射線治療から先にするんだって、少し仕事休まなくっちゃ」
 私は、癌が6センチ、腰への転移、どっちをとっても絶望的な気持になっていた。
「今、個室でね、内緒で携帯かけてるの、あとはメールでね、じゃあね」
 智子の明るさだけが、私をかろうじて支えてくれた。あとから智子のお母さんと連絡をとり、くわしく聞くと、肺のガンが腰の骨に転移しただけでなく他の箇所にもちらばって、もう手の施しようがなく、余命3ヶ月と告げられたらしく、御両親の悲しみは、私の想像もつかない程大きく辛いものだったに違いない。受話器を置いた私の体は、ガクガクと震え涙が止まらず大声で泣き呻いた。40代の若さでなぜ?どうして智子なの?誰にともなく怒りを感じた。本人には、伝えてないらしい。それから毎日メールのやりとりが続く。私のメールに智子は、夜中に返して来た。
 絵文字がいっぱいの楽しいメールだ。
「眠くないなあー」
「仕事しばらく休みになっちゃうよ」
「先生、ちょっとイケメンだよ」
「お見舞はいいよ、もっとよくなったらで」
 それでも智子の顔を見に行くと、喜んでくれた。お昼時に行き、2人で一緒にお昼を食べた。食欲は殆どないが、私に気を使い、少しでも食べようと努力してくれた。
 智子は、癌について殆ど知識がなく、その事が幸いして、一生懸命治療に専念し、治る事に希望を持っていた。それでも、あと一ヶ月という時間を過ぎた頃、先生は、本人に告げた。この事は、未だに私には、分らない。その方がよかったのか、本人は、知らない方がよかったのか。それでも先生は、月日を、あと3ヶ月と、伸ばして言ってくれた。
 どんな気持だったのかなんて想像もつかないが、くやしかっただろうし、怖かっただろうし、私は次の日、智子の顔を見るのがつらかった。でも智子は周りに気を使い、いつもの笑顔で私を迎えてくれた。
「先生ね、告知する時、緊張してたよ」
 と笑って話していたが、
「もう少し生きたかったなあー」
 の智子の声に、何も返す言葉がなかった。
「タバコ、やめてる?」の、智子の質問に、
「もちろん!」と、答えると、ニコッと笑う、いつもの智子に戻っていた。
 智子は、最終章に入っていた。痛み止めが強くなり、もうろうとしてくる事が多くなった。私は毎日会いに行った。親戚の人のお見舞いが多くなり、そっと私に「ねえ、わたし今日死ぬの?」ドキッとする言葉に「何言ってるの、明日も来るからね」と、あわてる私を見てにこっと笑う。もうメールも打てなくなり、目もあまり見えなくなってきた。それでもベッドの横に携帯が置いてある。その日、病院から帰るとなんと智子から電話が入る。
「あ、り、が、と、ね、ま、た、ね・・・」
 その電話は、病室にいた御両親も知らない。自分で、どうにかして私に電話をかけてくれたのだ。弱々しい声だが、智子の声だった。
 その2日後、智子は天国へ旅立った。入院してから、ぴったり3ヶ月だった。先生ってすごいなぁー、一日もくるいなくその日を当てたんだなぁー。
 もう少し早くたばこを止めていれば智子は死なずにすんだのだろうか、きっとそうなんだろうなー。今からでも間に合えばいいと、わたしも、もちろん吸っていない。だって、智子に約束したんだもの、あの時に。
「私の分まで体を大事にして長生きしてね。」
「OK!まかせて!」
 智子の最後の言葉だった。