2008年「タバコ:あの人にもっと生きてほしかった」コンテストのページにもどる


入賞作品

3位 河上 輝久 様 大切な人生を・・・・


 六十歳になった今、一週間前の出来事などを思い出す事は不可能になってしまった。しかし、三十数年前のこの出来事だけは今も鮮明に記憶している。
 彼と最初に出会ったのが、大阪城内の修道館と呼ばれている剣道場での事だった。只、何月頃かは定かでは無い。彼は、格下の相手をいたぶるような傲慢な態度で稽古をしていた。この様な鼻持ちならぬ人間は私は許せなかった。私の方が段位が上だったが、下座に座って順番を待っていた。
 対峙する事になれば、徹底的に痛めつけて、反省を促そうと気を引き締めていた。
 数分後、彼は私相手でも相変わらず傲慢な稽古を続けていた。およそ2分後に、
 「三本勝負しましょうか?」
 彼は容易に私を打ち負かす事が出来るものと確信していた様だった。しかし、数秒後、彼のプライドは傷つけられた。二本とも瞬時に私が打突した。彼はショックで暫し我を忘れていたが、気を取り直して、
 「もう一本お願いいたします」
 未練がましく私に言ったが、
 「もっと勉強して掛かってこい!」
 吐き捨てるように言った。彼は不満を体で表したが、私は無視して稽古を終えた。生意気な奴が! それが剣道を嗜む人間のする事か! 怒りは収まらなかった。その時の彼は、礼儀というものを曲解していた様だった。段位が上になればなるほど、頭をたれて物事を進めるのだが、理解出来ていなかった。更に、相手と対峙すれば、相手の力量は容易に分かる筈だが、又、格下の者には、誠意を持って指導するのが、剣道家である筈だが・・・・。
 数ヶ月後、偶然、修道館で彼と再び会う事になったが、以前のような傲慢さは消え失せていた。何が有ったのかは知る由も無いが、以前の彼ではなかった。
 「先輩! あの時は失礼しました」
 笑みを浮かべて言った。
 「何がだね」
 私は薄ら笑いを浮かべて言ったが、気付くのが遅い奴だと心の中で思っていた。しかし、その日の彼の態度は、あの時のような傲慢な気配を微塵も見せなかった。目の前にいる彼は、好青年だった。瞬時に刺々しい態度は私から消え去っていった。その日を切っ掛けに、仲の良い、先輩、後輩の良き関係になってしまった。
 ある日、
 「君達の稽古は、犬の喧嘩のようだね」
 私達の稽古を見ていた某先生から揶揄された事が有った。確かに言われたように、どちらかが、気を許すような事が有れば、大怪我でもしかねない様な緊張した稽古をしていた。そして、その甲斐有って彼は見事に六段を得る事が出来た。
 「先輩、お陰様で合格しました」
 清々しい顔を見せて、試験の翌日、私に報告した。彼の顔から心底喜んでいるのが、ヒシヒシと伝わってきた。あの時の彼の顔が、今も脳裏に浮かんでくる。
 私が四十歳になった時、三回目の七段受験に東京の日本武道館に来ていた。彼も又、私と同様七段の受験に来ていた。
 相手運が良かったのか私は合格した。しかし、彼は不合格に終わった。形と筆記の審査が終わるまで、先輩である私を待っていると信じていたが、武道館内を探しても彼は居なかった。とうの昔に新幹線で帰阪していた。
 「お前、先輩を待っているのが礼儀ではないのか! 薄情な奴だ」
 翌日、電話口で怒ったが、顔は笑っていた。
 「先輩、七段合格おめでとう御座います。良かったですね。誰が待っていますか? 帰りの防具は重かった」
 巧みに私の怒りを透かしてしまった。しかし、何が起きても、彼は素晴らしく可愛い後輩だった。
 翌年、クラブの忘年会に、何度も誘っても不参加だった彼が、珍しく顔を見せたのには驚いた。料理と酒に楽しんでいたが、途中、彼はソッと席を外した。トイレにでも行っているのかと思っていると、席に戻ってきた彼の口から、煙草の匂いがしてきた。私は煙草を嗜む事が出来無かったので、その嫌な匂いが瞬時に分かった。
 「お前、煙草を吸っているのか!」
 この歳になっても喫煙の愚かさを知らない彼に、怒りを込めて言った。
 「我慢出来なかったので、一本だけ吸ってきました。そんなに恐ろしい顔をしなくても一本だけです」
 悪びれず平然として言った。それは、私の怒りに火を点けた。
 「剣道を嗜む者は喫煙は止めとけ! 巷で、百害有って一利無しと言われているのが、その歳になっても分からんのか!」
 酒の勢いも有って、かなり厳しく言ったが、私の忠告も無駄だった。その後は、流石に私の目前での喫煙は無かったが、時々、煙草を求めていた。彼が近づくと煙草の匂いがプンプンしていた。しかし、彼が家族であれば絶対許す事は無かったが、彼は他人である。言うだけ無駄だと思ってしまった。
 四年後、彼も七段に合格した。
 「先輩、やりました。嬉しくて、嬉しくて」
 純情な彼は、感激のあまり涙を蓄えていた。
 七段を合格しても私達の稽古は、激しさを増した。次の八段の目標に向かって気を緩めるような事は無かった。
 しかし彼の体に異変が起きた。少しの稽古で、激しい息づかいをするようになっていた。更に、数年前の血色の良い顔は無かった。
 「お前、体調に異常でも有るのか? 一度人間ドックでも入って、検査をしてこい」
 私の忠告も
 「元気なものです。先輩、俺の体を心配すると頭が禿げますよ」
 「いい加減にせい! お前は絶対病人だ!手遅れにならない内に病院へ行け! 俺の言う事が聞こえないのか!」
 厳しく彼に言ったが、彼は私の言葉を無視した。この頃は、彼が近づくと煙草の嫌な匂いが更にきつく匂っていた。
 平成十九年早春、出稽古に行っていた大阪市内の某道場で、数人と稽古をした後、蹲踞の状態から崩れるように床に落ちた。直ちに救急車で病院へ運ばれたが、彼の心臓は再び動く事は無かった。僅か五十七歳の短い人生に終止符を打った。