2008年「タバコ:あの人にもっと生きてほしかった」コンテストのページにもどる


入賞作品

3位 渋谷 貞次郎 様 煙の魔術師


 私の上司の事務長は、病(やまい)との壮絶な戦いのすえ、若くして亡くなった。死因は肺癌。享年四十二歳。男ざかりのいわゆる厄年だった。いまわの際(きわ)になっても、たとえ命をとられても煙草を吸いたい、と頑強にこだわり、その意地を通して、トイレに行くふりをして、病院の中庭に立ち寄り、人の眼を盗んで煙草を吸ってから病室に戻ってくる悪(わる)だった。見舞いに来てそのことを知っても誰もそのことを難じる人はなかった。みんな彼の煙草好きを認めていたのである。ハイライトを一日に三箱六十本が彼のきまった消費量で、この基準を麻雀とか飲み会とかで越すと、吸い過ぎだとしてリポビタンDを一本飲んで帳消しとして済ましていた。
 もとは高校の英語の教員で、長らく学年主任をつとめ、教職員の信頼を集め、学園が新たに開設した短期大学の事務長に抜擢され、就任して三年目だった。中肉中背で、ダンディな身のこなしで女子学生たちの憧れの的で、話術も巧みで学内の人気者だった。手先が器用で、書家にも負けないような達筆な筆字を書き、学内の注意事項や連絡事項はほとんど彼の手によるもので見事であった。スタートしたばかりの短大は、理事長の息子を中心として、事務長、教務課長、会計課長は同じ年代で組織され、順調にすべり出していた。
 開学して三年目の六月、学内全員が受診する健康診断で事務長の肺に異常が見つかって、県立病院に即入院となった。精密検査の結果、肺癌が見つかったのである。前年の定期健診で何ら異常なしとの結果を得て、健康に自信をもって生活してきただけに、すぐさま入院という処置には、本人はもとより私たち事務職員みんながびっくりした。強いて言えば、前年の十二月頃から腰が痛い、ギックリ腰のせいだと腰をかばっていたのだったが、それが肺の最奥部に見落としがちの肺癌の印影が見つかったのである。精細に見れば前年のレントゲン写真でも確認されたとのことだった。丸一年、異常なしとして、煙草を吸ってきたのであるから医師も魂消(たまげ)たと思う。一年間の放置は大きかった。
 煙草が原因で肺癌を引き起こすとはいわれていたのだが、その当時、人はみな自分だけは罹(かか)らないという変な自信があって、煙草を止めようとする人はほとんどいなかった。自分の強運をたのんで煙草を吸うことが男のダンディな生き方と極め込んで、煙草を止めようとはしなかった。
 煙草を吸うメリットは何か。この問いに彼は明快に、煙草を吸うと精神的に安定し、物事を判断するのに思慮深くなると答えていた。さらに、身体の体重が一定で、肥満になるのを妨げる効果があるとつけ加えていた。
朝目覚めの一服、新聞に目を通しながら一服、顔を洗って一服、食事前に一服、食後に一服、・・・。普段の生活の節目節目に煙草が出てくる。人間は呼吸によって酸素を採り入れるが、事務長は体の隅々までニコチンを届け、意識をはっきりさせるのだと得意顔にいうのだった。麻雀をする時、煙草を吸うと相手を煙に巻くのだと得意顔であった。また酒の席で煙草を口に咥(くわ)えてはなさず吸うのは酒がとくにおいしく感じられ、男冥利に尽きるとうそぶくのだった。
 事務長には、特技があった。それは煙草の煙の輪の行列を作ることだった。大きく深呼吸しながら煙草を吸い、口を大きくあけて煙草を吐き出して空中に白い大きな煙の輪を浮び上らせる。次いで頬をへこませて唇を丸くつき出して、さっき作った大きな白い輪の中に小さい白い輪を順次つき入れて煙の行列を浮び上らせるのだった。器用に口を動かし、輪を作る特技は中々真似できるものではなかった。
 お昼休みの時など事務長はゆったり椅子に腰を下ろし、天井にむかって大きな輪と小さな輪を吐き出し、しばらくすると席を立って空中に浮んでいる白い輪を、頭を廻して口の中に吸い込んでしまうのだった。私たちは拍手喝采をして楽しんだ。
 彼の病状は次第次第に悪くなっていくようで、十二月頃には頬はこけて眼だけがぎょろりとして、本当は柔和な顔相が鬼気せまる容貌に変わって、病院に見舞いに行っても慰めようがなかった。帰りがけに「では頑張って下さい。」と元気づける意味で励ますと、「頑張るっていうけれど、これ以上何を頑張ったらよいのだ。お座なりの言葉をいわないでくれ。」と色をなして怒られるのだった。人の好意を受け取る余裕をなくしているのだった。また、事務職員の一人が蜂の子の瓶詰を見舞いに持っていくと、その人が帰ってからであるが、こんな得体の知れないものなんか食べられるかよ、と憤懣そうにいうのだった。本人がいら立っているので、何か良い方法はないかと思って、先生俳句を作られては、というとそれは良い考えだ、今度あなたがくるまで俳句を作ってみるよ、と穏やかに受け容れてくれた。暖かい春がくるのが待遠しく、春がくれば病状も良くなると信じていたようだった。
 春は名のみの風の寒さよ、早春賦が好きで口ずさんでいたが、春がもう少しで来る二月の末、他界。学園では、学校葬で彼の功績に報い、参列者全員で早春賦を歌って別れを告げた。
 かれが健康であれば、短大の学生募集ももう少しうまくいったであろうと思うと、事務長の逝去は短大の発展に大きなブレーキになった。惜しみても余りのある事務長の死は、煙草は肺癌を誘発させるとの教訓を残して終った。その葬儀の日以来、私は禁煙を誓い、事務長の分も生きようと決意した。